Last Update : 2021/9/23
アルフレッド・ヒッチコック
(作品をよく観ている監督・脚本家)
| アルフレッド・ヒッチコック/Alfred Hitchcock (1899年8月13日・イギリス・ロンドン生まれ) (1980年4月29日・アメリカ・ロサンゼルスにて死去、享年80) |
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身長は170cm。ロンドン近郊のレインストーンで販売業を営む家に生まれる。父親はローマン・カトリックの敬虔な信者で、両親の厳しい躾がヒッチコックの性格形成や作品に影響したと言われている。地図や時刻表を眺め、空想の旅を楽しむのが好きな少年時代だった。第一次世界大戦の勃発した1914年に父を亡くし、10代半ばにして技師として働いた。1920年、イズリントンの撮影所で字幕製作の仕事を得て映画界入り。撮影所の編集部で映画作りのノウハウを学び、脚本、助監督、その他の雑用をこなす。製作者のマイケル・バルコンに重用され、1925年の『快楽の園』で監督デビュー。また、この頃知り合ったアルマ・レヴィルと交際し、1926年に結婚。彼女はヒッチコック作品の脚本を多く手掛け、公私ともに最も重要なパートナーになる。1938年の『バルカン超特急』が大ヒットし、確固たる名声を得る。1940年に渡米、『レベッカ』でアカデミー作品賞を受賞。その後もアカデミー作品賞、監督賞などにノミネート作品が相次ぎ、「サスペンスの巨匠」としての地位を築いた。当時の映画産業、映像技術における実験的な作品にも数多く取り組んだ。監督作品は全53作品になると言われる。 また、当時は映画の敵でもあったテレビ界にも積極的に参入し、自ら番組のパーソナリティと総合プロデューサーを務めるなど、映画監督らしくない「お茶の間の人気者」としてそのキャラクターとともに番組は愛され、10年ちかく続いた。映画だけに留まらず幅広い分野で映像製作の歴史に多大なる影響をもたらした。 1967年にアカデミー特別功労賞(アービング・G・サルバーグ賞)が贈られ、1979年にはイギリス女王からナイト(サー)の称号を贈られるなど、勲章を多数受賞した。1980年、ロサンゼルスの自宅で腎不全により他界。 自らの映画にワンカット出演したり、周囲の人々をいたずらで困らせたりと、茶目っ気のある人柄でもあった。 |
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