禁断の扉を開けた問題作
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を見ました。
感動のヒューマンドラマかな…と思っていたら、見事に裏切られました。
映画史上に残るであろう究極の問題作でした…。

このコラムには、重要なネタバレを含みます。
今後、この映画を観てみたいと思う方は読まないほうがいいかと思います。
映画を観たあとに読んでみてくださいね。


ダンサー・イン・ザ・ダーク(2000年デンマーク/ミュージカル)
 <ストーリー>
1960年代のアメリカの片田舎。チェコからの移民のセルマは、息子のジーンを育て
ながら工場で働くシングルマザー。遺伝性の病気で視力を失いつつあった彼女は、
息子にだけは同じ運命を辿って欲しくないと、その手術費用を必死で貯めていた。
目的の金額まで届くというある日、大事なへそくりを隣人のビルに盗まれてしまう。
奪われた金を取り戻そうとする彼女だが、思いがけずビルを殺してしまう。
殺人の容疑で刑務所に入れられてしまうセルマ。
唯一、息子の手術のゆくえだけが気がかりだったが、手術は無事に行われる。
それを聞いて安心したセルマは、絞首台にかけられるのだった…。
僕が今まで生きてきて見た中で、間違いなく最悪の映画。
途中で何度もイヤになったけど、頑張って最後まで見た挙げ句が、死刑。
見終わった後のこれ以上ない後味の悪さ。
この映画を「感動作」と評価する向きもありますが…
そういう人とは、残念ですが嗜好が違うとしか言いようがありません。

これだけ酷評するからには、僕なりに「なぜ不愉快なのか」を
正確に伝える義務があるよね。気になる点を、すべて挙げていきます。

救いのない禁断のタブー
まず、最後に描かれた「救いのない死刑」という禁断のタブー。
同じ死刑でも、『グリーン・マイル』とはワケが違う。
『グリーン・マイル』の囚人は、死刑によって義務から魂が解放された。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』では「罪を犯した、だから死刑」というだけのこと。
セルマは罪を犯したし、冤罪で死刑になったわけではない。
そこには奇跡も救いもないし、感動も涙もない。ただ後味が悪いだけ。
死刑を描くなら、死刑囚の映画を作ればいいんだ。
「七人の死刑囚」なんてどうだろう?様々な理由で死刑判決を受けた囚人たち。
そのドラマを描き、最後に死刑。絞首台に電気イス、断頭台。
派手に、生々しくやればいいんだ。
そういう映像はドキュメントであって、「映画」ではない。
某国で死刑のテレビ中継があったらしいけど。それを見てるのと同じ感覚。
作品としての「映画」では、ふれてはならない禁断のタブーなのだ。

息子を思う母親の姿が感動を呼ぶ?
この映画を「感動作」と呼んでしまう人は、きっと「死刑になってまで息子を思う
母親の姿」に感銘を受けたのだろう。だけど本当に、それでいいの?
そういうテーマの作品なら、それこそ数え切れないほどある。
子供を心配しない親はない。それは人間のみならず、全ての生物に共通する
いわば本能のようなものだ。だからこそ、心の琴線にふれて、人は涙を流す。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』では、母親の深い愛で息子は手術を受けられる。
だけど最後にはその希望の灯火である母親が死刑という最悪の形で姿を消す。
この映画で「母親の愛云々…」というのは無理やりすぎないだろうか?
そこまでして長所だけを見る必要はないはずだ。
大局的な視野で全体を見たときに、この映画は間違いなく「母親の愛」よりも
「盲目の母親が死刑になった」ことの方がクライマックスだからだ。
前述したが、親子の愛情を描いた秀作は『母の眠り』などたくさんある。
最初から、そういう映画を見たほうが有意義ではないだろうか。

母親が盲目であることに意味がある?
この映画の特筆事項のひとつとして、セルマが弱視だということが挙げられる。
物語中盤では完全な失明に陥ってしまう。そういうセルマだからこそ、
愛にひたむきに生きる姿が強く描かれている。それはわかる。
だけど、劇中で描かれる彼女の姿は決して好感を呼ぶものではない。
空想にひたっては仕事仲間に支障をきたし、息子に誕生日プレゼントも買ってあげられないことをわざわざ裕福な隣人夫婦の耳に入るかのように語り、自転車を獲得するも、その夜には貯金の勘定。この場面は正直、腹が立ちました。
挙げ句の果てには、騒動の末に隣人を撲殺。そのことは「沈黙の秘密を守ること」より大事なことなのだろうか?あまりにも自分勝手で、どちらかといえば「頭の悪い」姿ばかりが見うけられる。このことには、障害者への偏見がかなり含まれているような気がしてならない。
ハンディキャップを持つ主人公を描いた作品もいろいろある。
『あなたが見えなくても』『レナードの朝』の方が、よっぽど感動作だ。
邦画でも『アイ・ラヴ・ユー』という佳作がある。
主人公が障害者だというだけで感動作を作れると思ったら大間違いだ。

作品自体の作り方に疑問は感じられないか?
これまでは作品のテーマについて書きましたが、映画の作り自体にも疑問符。
まず、やはり気になるのがあのカメラワーク。あっちにウロウロ、こっちにウロウロ。
この場面を写したと思ったら、あっという間に次の場面。全くもって落ち着きがない。
このカメラワークだけでも作品の評価を下げざるを得ない。
まるで素人が撮っているかのようで、画面に酔ってしまった。

次に…冒頭の4分間の謎の画像。あれは一体、何を意味しているのか?
あんな導入、なくてもいいんじゃないの?何か意味深な雰囲気だけは漂うけど。

最後に。これは、テーマにも関わることなんだけど…
140分かけて、何を描きたかったのか、主張したいのかが全く理解できない。
その意味では『マグノリア』も同じたけど(笑)
主人公は愛に生きました。でも、皮肉なことに死刑になってしまいました。
それだけではないと思うんだけど。
でも、全く伝わってこないんだよなぁ…。
この作品に感銘を受けたという人、教えてください。
この映画は、いったいなんなんですか?
人気歌手ビョークが歌って踊る。それだけだったら、プロモーションビデオでも
作っていればいいことだ。わざわざ映画にしなくてもいいのでは?

ミュージカルって…
最後に、おまけというか…これは趣味の問題だけど。
僕は、ミュージカル映画というやつが苦手です。
今までのシーンの内容に関わらず、いきなり歌って踊りだす。
そのことの必要性が、全くもって理解できない。
途中の工場や、電車のシーンは百歩譲ってヨシとしよう。
だけど、殺害現場で死体が起きあがって踊り出すシーン。あれはナンセンスだ。
シリアスな法廷で、みんな笑顔で歌って踊ってバンザイ。そんな馬鹿な!
神聖な法廷を侮辱するにも程がある。
あのミュージカルのおかげで、余計すべてがぶち壊し。
思い切ってミュージカル抜きで、全編をシリアスドラマとしたら。
そうしたら、僕の評価も少しは上がったかもしれない。
ミュージカル好きな人は、言うかもしれない。
「シリアスなドラマだから、息抜きもかねてダンスは必要なのよ」と。
それだったら、最初から論外だ。
そういう人は、もっと気楽に楽しめるダンス映画でも見ていればいいんだ。
この映画の重いテーマに、楽しげなミュージカル。明らかに無理がある。
『雨に唄えば』、『オズの魔法使い』、『サウンド・オブ・ミュージック』
『ウェスト・サイド物語』、『マイ・フェア・レディ』、『メリー・ポピンズ』。
ミュージカルはやっぱり楽しくあるべきだと思う。

と、気になる問題点を挙げはじめたらこれだけ列挙にいとまがない問題作
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』。こういう映画は作っちゃいけないと思う。
まだ見ていない方。悪いことは言いません。見ないほうがいいです。

あと、やっぱり気になるのは…これが珍しいデンマークの映画だということ。
デンマークの映画って、こんな映画ばかりなのだろうか?

2002/3/1