Last Update : 2022/6/19
オードリー・ヘプバーン
(お気に入りの女優/その他の有名女優)
| オードリー・ヘプバーン/Audrey Hepburn (1929年5月4日・ベルギー・ブリュッセル、イクセル生まれ) (1993年1月20日・スイス・ヴォー州 トロシュナ村にて死去、享年63) |
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身長は169cm。アイルランド系イギリス人で保険会社に勤める父と、貴族出身のオランダ人の母の間に生まれる。5歳でイギリスにある寄宿学校に入学。10歳の時両親が離婚したのをきっかけに、母と共にオランダに移住しバレエのレッスンを始めた。ナチス占領下のオランダでは貧しい暮らしだったが、戦火の中、モデルなどをして生計を立て、1948年単身ロンドンに渡り、バレエのプロとして舞台デビューを果たす。その実力が認められ、端役として映画にも出演をはじめる。1951年、撮影中に『ジジ』の原作者であるコレット女史と出会い、同作のブロードウェイ公演で主役に抜擢される。その舞台を見たウィリアム・ワイラー監督の目に留まり、1953年の『ローマの休日』にて主役の座を獲得。初のハリウッド映画で主演デビューを飾り、作品の大ヒットと共にアカデミー主演女優賞を受賞し、一大ブームを巻き起こす。以後はスター街道を突き進み、1954年の『麗しのサブリナ』でのシンデレラ・ガールから、1967年の『暗くなるまで待って』での盲目の人妻といった演技力が要求されるシリアスな役まで幅広くこなす。スレンダーなボディとチャーミングな笑顔と洗練された優雅さ、抜群の衣装センスを売りにしてハリウッドを代表するスターとなった。 晩年はユニセフに親善大使として参加。ソマリアで難民救済に力を注いでいた。1993年、直腸ガンのため63歳でこの世を去った。 ロンドンでバレエを習う等、ヨーロッパを中心とする各国で生活した経験を持つ。そのためか英語、フランス語、オランダ語、スペイン語、イタリア語に抜群に堪能であった。 プライベートでは、1954年9月に俳優のメル・ファーラーと結婚。1960年に息子ショーンF・ファーラーが生まれたが、1968年12月に離婚。1969年1月に10歳年下のイタリア人精神科医アンドレア・ドッティと再婚。1970年2月に息子ルカが生まれたが、1982年に離婚している。彼女の出演歴が1960年代後半から1970年代にかけて欠落しているのは、子育てに専念するため、数多の出演オファーを断ったためである。その後は、オランダ人俳優ロバート・ウォルダーズと晩年まで共に過ごした。 |
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