「硫黄島の戦い」〜栗林忠道の激闘

昭和19年、太平洋戦争も激戦をきわめ、次第に戦局の旗色が悪くなっていった日本軍。日本はフィリピンの防衛戦を天王山と称し、最後に想定される本土決戦に備え、日本領土である硫黄島や沖縄での戦いに淡い望みを託して戦った。日本国領土での初の戦闘となった「硫黄島の戦い」は、昭和20年(1945)2月19日に始まった。

栗林陸軍中将の主な動向と「硫黄島の戦い」

年月日 事象
1891(明治24)年7月7日 栗林忠道、生まれる
1912(大正元)年12月 22歳 陸軍士官学校入校(26期)
1914(大正3)年5月 24歳 陸軍士官学校卒業
1914(大正3)年12月 24歳 任・陸軍騎兵少尉
1928(昭和2)年3月 38歳 アメリカ合衆国へ留学
1930(昭和5)年7月 40歳 ロンドン、パリ、シベリア経由で帰国
1943(昭和18)年6月 53歳 任・陸軍中将
栗林忠道
1944(昭和19)年6月10日 栗林中将、硫黄島に出陣
硫黄島にて
着任早々、島の視察をする栗林中将
1945(昭和20)年
2月16日 アメリカ軍、硫黄島に砲撃攻撃開始
2月19日 アメリカ軍、硫黄島に上陸開始、日本軍、攻撃開始
緒戦のアメリカ海軍の被害は19日の1日だけで
戦死501名、戦傷死47名、負傷1,755名
2月23日 アメリカ軍、摺鉢山頂上へ到達し星条旗を掲揚
「硫黄島の星条旗」
ピューリッツァー賞(写真部門)を受賞した
ジョー・ローゼンタールの報道写真
3月15日 アメリカ軍、硫黄島の完全占領を発表
3月16日 硫黄島より最後の電文を発する
3月17日 硫黄島において最後の突撃を敢行
陸軍大将の辞令を受ける
3月26日 栗林大将、陣頭に戦死と伝えられる
硫黄島における組織的戦闘の終結
日本軍は守備兵力20,933名のうち20,129名(軍属82名を含む)が戦死
捕虜となった人数は3月末までに200名、終戦までにあわせて1,023名
アメリカ軍は戦死6,821名、戦傷21,865名の損害

恥ずかしながら、僕は『硫黄島からの手紙』を観るまで栗原忠道という人物を全く知りませんでした。外国の映画で自国の歴史を学ばされる居心地の悪さを感じながらの観賞でした。二宮和也演じる西郷など、何人かのフィクションを除き、ほとんどが実在の人物。そして、栗林中将やバロン西などのエピソードは実際の史実に沿ったものなんだとか。
これまで僕は、あの時代の日本人って、愚かな軍人ばかりだと思っていたんです。資源の乏しい日本が、強大なアメリカに挑んでいく愚を全く知らないと思っていて。だけど、これほどまでに相手を知り、敬愛し、それでも戦わざるを得なかった人物が日本にいた。そのことを知っただけでも、とても意義のある作品でした。
「玉砕総指揮官」の絵手紙
若き栗林中将がアメリカに留学していた時、長男の太郎氏にあてた絵手紙が、本になっています。我が子に対する愛や、いたわりの気持ちが素直にあらわされていて、とても心温まる手紙です。文才も、絵心もあった栗林中将。こんなにたおやかな感性を持った日本人がその当時いたなんて、新鮮な驚きでした。でも逆に、こんなに素晴らしい人物がいたのにも関わらず、どうして愚かな戦争に踏み切ってしまったんだろう…と、悲しく思わずにはいられません。


父親たちの星条旗(1997年・アメリカ)
 <製作・監督>
クリント・イーストウッド
 <出演>
ライアン・フィリップ、ジェシー・ブラッドフォード、アダム・ビーチ
報道写真「硫黄島の星条旗」に人生を変えられた3人の米軍兵士の物語
硫黄島からの手紙(2000年・イギリス)
 <製作・監督>
クリント・イーストウッド
 <出演>
渡辺謙、二宮和也、伊原剛志
硫黄島で、栗林中将のもと戦った日本軍の激闘を描く

2009/11/25