| 年月日 |
事象 |
| 1908年12月16日 |
ベルファストのクイーンズ・アイランドにあるハーランド&ウルフ社の造船所で、オリンピック号のキール(竜骨)の建造が始まる |
| 1909年3月31日 |
次いでタイタニック号のキールが設置され、建造が始まる |
| 1910年10月20日 |
オリンピック号進水式 |
| 1911年5月29日 |
オリンピック号試験航海に出発 |
| 1911年5月31日 |
タイタニック号進水式 |
| 1911年6月1日 |
オリンピック号ニューヨークに向け処女航海(スミス船長)
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| 1911年9月1日 |
三隻目の「オリンピック」クラスの客船の建造が発表
(1912年5月に船名が「ブリタニック」と決定) |
| 1911年9月20日 |
サウサンプトン港でオリンピック号と巡洋艦ホークとが衝突(スミス船長)
(このため、タイタニック号の建造工事が大幅に遅れる) |
| 1912年4月2日 |
タイタニック号、ベルファストで試験航海
処女航海の出発地点であるサウサンプトンへ向かう
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| 1912年4月10日 |
タイタニック号、ニューヨークに向け処女航海(スミス船長) |
| 1912年4月15日 |
午前2時20分、タイタニック号沈没
(1500余人の犠牲者を出した最大の海難事故) |
| 1914年2月26日 |
タイタニック号の事故の影響で大きく設計が変更され、建造が遅れていたブリタニック号がようやく進水式
(しかし、第一次大戦の影響で完成が1915年11月まで遅れる) |
| 1915年12月12日 |
ブリタニック号、病院船として徴用
同時期、オリンピック号も軍用輸送船として地中海と大西洋で活躍
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| 1916年11月21日 |
エーゲ海でドイツ軍の機雷に触れブリタニック号は沈没
(この時の生存者のヴァイオレット・ジェソップはタイタニック号の女性客室係だった。また、火夫のジョン・プリーストは、オリンピック、タイタニック、ブリタニック全てで乗務の経験があった。ブリタニック号は、一度も商船として使われることなく、その短い命を閉じた) |
| 1918年4月 |
オリンピック号、ドイツ海軍Uボート(U-103)の魚雷攻撃をかわし体当たり攻撃、Uボートの方が沈没。 |
| 1919〜20年 |
オリンピック号、50万ポンドをかけて石油専焼に大改造 |
| 1924年 |
オリンピック号、ニューヨーク港で汽船フォート・ジョージ号と衝突 |
| 1926年 |
IMMは、「ホワイトスターライン社」を王立郵船に売却。
王立郵船の社長のキルサント卿が、「ホワイトスターライン・リミテッド」という別の新会社を設立。 |
| 1934年 |
キューナード社は「ホワイトスターライン社」を吸収合併。
社名を「キューナード−ホワイトスター社」とする。 |
| 1934年5月15日 |
オリンピック号、ナンタケット島の灯台船に衝突 |
| 1935年 |
オリンピック号引退 |
| 1937年 |
オリンピック号解体 |
| 1945年 |
キルサント卿の「ホワイトスターライン・リミテッド」解散。
同時に「キューナード−ホワイトスター社」は元の「キューナード社」に社名を戻した。
この時点で"ホワイトスター"という名前は終焉を迎えた。
※ホワイトスター社の船は現在、一隻だけ残っている。パリで水に浮かぶレストランになった、1911年建造のノルマディック号。 |
| 1976年 |
海底に沈むブリタニック号がJacques Cousteau氏率いる調査団によって発見された。 |
| 1985年9月1日 |
ロバート・D・バラード博士率いる調査団によって、海底に眠るタイタニック号が初めて発見された。 |