青空の扉


 彼女と初めて会ったのは、五月のことだった。
公園に美しく咲いた紫陽花の、うたかたの午後。
彼女は、傘をさしてしゃがみこみ、紫陽花を見ていた。

紫陽花のうた アジサイ
(ユキノシタ科)

梅雨の季節、大輪を
幻想的に咲かす。

花言葉
移り気、無常
あなたは冷たい

雨はそれほど強くはなく、むしろ静かに、優しく梅雨の雨空を彩っていた。
そんなよくある風景だったのだが、ふと気になったのは、彼女がずっとそこに居たからだ。
僕は公園の向かいのレコード店にCDを買いに行ったのだが、その時から彼女はずっとそこにいた。

「よっぽど紫陽花が好きなんですね」思い切って声をかけてみた。
年齢は20前後、僕と同じくらいに見えた。
驚いたように振り向いた彼女は、思わぬほどに可愛かった。

そんな始まり方のこの二人の絆は、まさに…
かつて誰だったか、詩人が言った言葉のようだ。恋は魔法さ、という言葉のように。

僕の問いに、彼女はブルーが好きなのだと答えた。
そう言われてみると、彼女の傘もブルーだった。
この色が、さっき見た風景を自然なものとしていたのだろう。
彼女は、僕がCDの袋を持っているのを見て、何を買ったのか訊ねた。
それは、昔流行ったロネッツの「Be My Baby」だった。

*

 それから僕らは自然につきあうようになった。
彼女は僕と同じ学校の学生だった。
映画を見にいったり、買い物をしたり。
はじめて見にいった映画は、ケビン・コスナー主演の「さよならゲーム」だった。
出会いの時のように、色々な不思議な面を彼女は持っていた。

 草原に二人で出かけた時だ。晴れた青空。彼女は、
「あの青空のゆくえには、何があると思う?」と言った。
僕はそんなことを考えたこともなかった。彼女の言うには、
「あの青空のむこうには、明日があるのよ。地球が一周して、夜になって、
 また太陽が顔を見せる。でも、そんな事じゃないの。見えないからかな。
 きっと何かいいことがありそうな、そんな気がしない?」
そんな不思議な感性を持つ彼女が、僕は好きだった。

*

 彼女との楽しい日々は、2年目の夏に終りを迎えた。
始まりがそうであったように、終りのきっかけも突然だった。
彼女は親の転勤に伴い、アメリカに行ってしまったのだ。
学校も辞めて、突然行ってしまった。
次に会えるのは、いつかわからない。
そんな状態に終止符をうったのは、彼女からのエアメールだった。

  お元気ですか。アメリカに来てから、1ヶ月がすぎました…
  はじめて公園で会って…あれから二人、いろんな所にいったし、
  いろんな話をしたね…私、今でもあなたが好きです。
  でもね。
  その気持ちをもちつづけているうちに、お互い笑顔のうちに、終りにしたほうがいいと思うの。
  これからずっと、会えない日々が続けば、あなたも、私も、苦痛になると思うの。
  私、あなたの重荷にはなりたくないから…。
  今夜、あえてさよならを言わせてください。
    Say good bye,because I love you

 手紙の最後には、英語でそう書かれていた。日本語と、英語。
彼女の住むカリフォルニアまで、太平洋の距離を測ってみたこともあった。
でも、距離よりも何よりも、その言語圏の違いが、僕にとって彼女との距離を最も切実に感じるものとなった。

*

 君去りし夏から、もう半年。もう手紙のやりとりもなくなった。
彼女はもう、新天地での暮しに慣れただろうか。
僕もようやく、彼女のいないこの日々を、現実として受け入れることができるようになっていた。
もう、想い出なのだ、と。でも、君を好きな僕の気持ちに変わりはない。
今になって思うと、君がいたあの頃の日々が、
君がいたところがMy sweet homeなのだと。

 今日、久しぶりにあの公園を歩いてみた。
紅葉した木々が季節を告げている。気温も涼しくなってきた。
ふと空を見上げると、いつか見たような青空がひろがっていた。
「あの青空…」
彼女との日々が、僕を変えていた。
あの青空の扉のむこうに、アメリカがあるのだろうか。
そんなふうに感じるようになった自分が、可笑しく思えた。
今度雨が降ったら、ブルーの傘を買いに行こう、と思った。

1998.7.17


浜田省吾アルバム「青空の扉」の曲名を組み込んだ短編です。
このアルバムは全曲がラブソングでとてもいい仕上がりです。一度聞いてみてください。
『青空の扉』
1.Be My Baby
2.さよならゲーム
3.二人の絆
4.彼女はブルー
5.紫陽花のうた
6.君去りし夏
7.恋は魔法さ
8.君がいるところがMy sweet home
9.あれから二人
10.Because I love you
11,青空のゆくえ


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