渚の風(1999.3.18)


冬の終わりを実感できる陽気が続いている。
乾いた風が街を吹き抜け、行き交う人々の服装もだんだん軽いものになっていく。
街の景色が、風の温度が、僕に季節の変わり目を実感させる。

毎年この季節になると悩まされるものがある。花粉症。
花粉症というよりアレルギー性鼻炎というものらしいが、症状はほとんど花粉症のそれである。
クシャミが続き、目がショボショボしてかゆくなる。鼻がグズグズする。
毎年悩まされるのだが、とりたてて特効薬もない。春が落ち着けば治るので、何か対策をたてる気もおこらない。
むしろ、これで春の訪れを実感しているのだ。

春を予感させる陽気につられて、久しぶりに自転車を走らせてみた。
高校生の頃によく走った道。
北へ、海へと続く直線。
埃塗れの乾いた風が、追い風になっている。

僕は高校に上がる頃、富山に引っ越してきた。それまでは山形にいた。
富山市と山形市は文化的にも、気候的にも似ている。だが、僕にとって決定的な違いがある。
山形市は盆地であり、富山市は平野である。富山市は海に面していたのだ。
それまで僕にとって海は、武田信玄にとっての憧憬の対象であったかの如く、遠いものだった。
だが、富山に引っ越してきてからは自転車で行ける距離に海がある。それは大きな転機だった。
僕は海が大好きになった。
就職して車を持ってからは、休みの日はよく海でぼんやりしていたものだ。

久しぶりに海が見たくなった。
ハンバーガースタンドで特別安売りのバーガーを2つ買った。
片手ハンドルでハンバーガーを食べながらゆっくりとペダルをこぐ。
高校生の頃と視点の高さはほとんど変わらないが、見える景色は変わってみえる。
もう、あれから6、7年も経っている。
いつまでも子供のつもりでいたが、気が付くと振り返ることのできる年月はどんどん長くなっていく。
人は大人になるべくしてなるのではなく、気が付いたら大人になっていた、というのが正しいところではないだろうか。
僕はガムシャラに生きてきたわけではないのでまだまだ子供気分がぬけないのだが。

海の近くにあるコンビニでバーガーのごみを捨て、なにか飲み物を買おうと立ち寄った。
新発売のレモン飲料のペットボトルと、ガムを買った。サファイアグレープという味にひかれて。
ガムをかみながらさらに走る。海までは、あとわずかだ。

富山の海は、あまり潮の香りが強くはない。
海に近いところでも防風林の松林が邪魔してか、あまり潮風は吹いてはこない。
踏み切りを越え、直線をもうひとっ走り。
左右は、見渡す限りの畑だ。遠くには雄大な立山連峰が脈々とその姿を横たえている。
のどかな風景とは、こういうのを言うのだろう。
松林を抜けると、真っ青な海が目に飛び込んでくる。

渚のコンクリートの遊歩道に寝転んで、ぼんやりと空を眺めてみた。
鳥が舞っている。あれはカモメだろうか?鳶だろうか?
微かな潮風が、優しく頬をなでる。湿っぽくなく、どちらかといえば乾いている。
穏やかな波の調べが、木々を吹き抜ける風が、小鳥のさえずりが、三重奏を奏でている。

波間に降りてみた。静かに寄せては返す波。悠久なる自然の営み、その最たる姿だ。
水に手をひたしてなめてみた。わずかに潮の味がする。
丸い石を見付け、思いきり投げてみた。海に接していると、高校の頃を思い出す。
変わらない景色。海、空、山。
富山の豊かな景色を、風土を愛してやまない自分に、あらめたて気がついた。

しばらくそこにいた後、家路についた。海岸に沿ったサイクリングコースである。
小学生くらいの女の子たちがボールで遊んでいる。
中学生くらいの女の子が自転車でその横を通り抜ける。
彼女たちにとって、故郷の大地は、海は、将来どのようなドラマをもたらすのだろうか。
再び松林をぬけ、コンクリートの世界に戻る。気のせいか、空まで灰色に見える。

今までに通ったことのない道をみつけた。
小さな川に沿っているその道は、車通りの少ない閑静な住宅街へと続いていた。
知らない景色を見るのは楽しいものである。
学生の頃は、よく各駅停車の電車に乗って、気まぐれで途中下車をしたものだ。

しばらく走ると、知っている景色に出会えた。
県立高校の近くだった。帰り道の学生たちとすれ違う。
彼らもやがて高校を卒業し、故郷を離れ、こんな風に回帰する時がくるのだろうか。

普段は考えることもないことを、懐かしい景色を目にすると考えてしまう。
人生を振り返るにはまだ僕は若すぎるが、居心地のいいこの土地と景色を楽しむ心は持ち合わせている。
海にむかうと、心が静まっていく感じがする。
無になるというか、落ち着くというか、昔好きでよく聞いていた曲を聞いたような・・・。
どこか懐かしさがただよう様な気持ち。あえて言葉にするならば、郷愁・・・だろうか。

僕は、海が好き。
それも、南国の透き通った海ではなく、北国の凍てついた海でもない。
富山の、日本海の静かな海が好き。これは、年をとっても変わらないだろう。
いつの日か、孫を連れて海辺でギターを弾きながら、昔流行った歌を口ずさんでる。
そんな将来があればいいなぁと思っている。

渚に立つと、海の向こうが見える気がする。
空と海面の接点、水平線の彼方。
空と海が抱き合うようなその場所には、きっと無数の夢や、希望や、ドラマがあるのだろう。
渚の風に吹かれながら、それらをほんの少し垣間見た気がした。

明日の朝も日はまた昇る。朝が来て、夜がくる。その繰り返しの中で、何を見出すか。
それこそが、生きていくうえで最も肝要なことなのだろうと思う。
微かな潮風に吹かれながら、そんなことを考えていた。


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