波打ち際(1998.6.17)


長い旅から帰り、コンサートや、遠くの友達と会ったり、楽しい日々が最近続いていた。
一段落つき、ここ数日は家に閉じこもっていたが、今日は久しぶりに買い物に行くつもりだった。
外に出てみると、暑い。暑かった。
梅雨の灰色の空はなく、青い空と、乾いた風が夏の気配を運んできていた。
気分がよくなり、海を見に行くことにした。
他にすることもあるだろうに…やっぱり僕は海が好きなのだろうか(笑)

かつてよく走った、海へと向かう道。
相棒も久しぶりに走る道とあって、気分がよさそうだ。
買ったばかりの、初夏を感じさせるCDをかけ、北へと向かう。
途中のコンビニでサンドイッチと、ボトルのジュース、それに新刊の文庫を買った。

自宅から30分もかからずに、海に着く。
海に近づくにつれておしよせてくる波涛。
車を降りた瞬間目に飛び込んでくる2色だけの視界。
真っ青な空と、青い海、白い砂浜。
そこにあるのはそれだけだ。
しかし、これ以上に贅沢な風景画が存在しているだろうか?

犬を散歩させている人、セイリングをしている若者。
見渡しても10人もいないだろう。
僕は、白いTシャツとブルージーンズ、サンダルといういでたち。
波打ち際まで走ってみる。ザクザクと足から感じられる砂の重さ。
今では高い位置から見下ろしている太陽に照らされ、砂は熱くなっている。
サンダルを脱ぎ捨て、ズボンの裾をまくり、波の中へと駆け出していく。
白いしぶきがあがり、細かな水片が全身にふりかかる。
潮の香りをふくんだ水飛沫は、冷たかった。

しばらく波打ち際で遊んだあと、砂浜を戻り、打ち上げられたボートを見つけた。
黄色い船底をあらわにしたその姿は、まるで食べられたバナナのようでもあった。
そのボートに腰をおろし、買ってきたサンドイッチを食べる。
今日はじめて気づいたが、富山の海は潮香がそんなにきつくはない。
その場所は海水浴場なのだが、海独特の肌にベットリとからみつく風が吹いていないのだ。
爽やかな乾いた風が、白く高い波とともに水平線から運ばれてくる。
僕がこの場所を特に好きな理由がひとつわかった気がした。

サンドイッチを食べ終わったあと、買ってきた文庫本をひらいてみた。
青空の表紙が印象的で買った本だ。
どうやら短編恋愛小説のようだ。
ボートに横たわり、波の音をBGMにその本を読んでいた。
眠たくなったので、そのまましばらく眠ってしまった。

潮風が幾分冷たくなってきたので起きてみると、もう陽が傾きかけている。
もう人影も見えない。
濡れていたズボンとシャツもすっかり乾いていた。

裸足のまま、波打ち際まで歩いていってみた。
青かった空は赤くなっていて、水面には夕陽が反射して光の乱舞を見せている。
棒切れをひろって浜辺に文字を書いてみた。
だが、すぐに波にかきけされてしまう。
なんだかその光景が可笑しく思えて、くっくっと笑ってしまった。

海は美しく、何度見てもその端麗なる芸術は衰えることがない。
なぜ、いつから、僕はこんなに海が好きになったのだろう。
一瞬そんな疑問が頭をよぎったが、すぐにふりはらった。
今は、この華麗なる景観が目の前にあり、それを一人占めしている。
それだけで充分ではないか、と…。


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