「やり返さない勇気」を持った開拓者
ジャッキー・ロビンソン〜『42』

1945年、ブルックリン・ドジャースの先進的GM、ブランチ・リッキーは、当時黒人リーグで活動していたジャッキー・ロビンソンと、メジャーリーグ史上初の黒人選手契約を交わし、世間の大きな注目と話題を集めることに。下部リーグのチームでの試用期間を経て、メジャーリーグに昇格したジャッキーは、1947年ついにドジャースの一員としてスタジアムに登場。しかし彼の前には厳しい差別や偏見が待ち構えていた…。

『42 〜世界を変えた男〜』(2013年アメリカ/スポーツドラマ)
<監督・脚本>ブライアン・ヘルゲランド
<出演>チャドウィック・ボーズマン、ハリソン・フォード

MLB初(近代野球以降)の黒人選手、ジャッキー・ロビンソン
1945年、ブルックリン・ドジャースの会長ブランチ・リッキーは、チームに優秀な選手を欲しており、ニグロリーグの黒人選手ジャッキー・ロビンソンに白羽の矢を立て、1945年8月23日に契約金3,500ドル、月給600ドルの契約でドジャースの傘下のAAA級モントリオール・ロイヤルズへ入団させた。
モントリオールでの活躍を経て、1947年4月10日、ドジャースは彼と正式に契約。それまで白人だけのスポーツリーグだったメジャーリーグに、初めて黒人選手が誕生した(1900年代の近代野球以降)。
開幕戦の4月15日に本拠地のエベッツ・フィールドには26,623人の観客が集まり、そのうち半数以上の14,000人はロビンソンを見ようとする黒人だったロビンソンはアフリカ系アメリカ人のメジャーリーガーとしては1884年のモーゼス・フリート・ウォーカー以来63年ぶりにメジャーデビューを果たした。

 1947年4月10日、正式契約

メジャーデビューを果たしたものの、世間からのバッシングは想像を超えるものだった。相手チームのベンチ、味方チームの選手、新聞記者、街ですれ違う白人、多くの人からロビンソンは偏見の言葉を浴び、時には脅迫文書まで届いたという。だが彼はそれを「やり返さない勇気」で耐え、グラウンドでの活躍で心無い声を封じ込めていった。いつしか彼のファンは増え、白人の子供がロビンソンの打席でのルーティンをマネするほどになったという。その様子は映画『42 〜世界を変えた男〜』でも描かれている。

 フィリーズのチャップマン監督と“和解”

デビュー年は新人王
誰も文句のつけようのないその活躍により、シーズン終了時にはチームメイト・監督・報道陣から受け入れられるようになっていた。シーズンでは一塁手として打率.297、12本塁打、48打点、29盗塁(盗塁王)という成績を残してチームの優勝にも貢献し、同年より制定された新人王を受賞した。

1949年はシーズンMVP
1949年は自己最高の打率.342、37盗塁を記録し、首位打者と盗塁王を獲得。シーズンMVPに選出された。黒人選手としてロイ・キャンパネラ、ドン・ニューカム、ラリー・ドビーと共に初のオールスターゲームに出場を果たし、1954年まで6年連続でオールスターに出場した。また、1949年から6年連続で3割を達成している。

ワールドチャンピオン
1955年は自己最少の105試合の出場で、打率.256、8本塁打、36打点と自己最低の成績に終わったが、ワールドシリーズではニューヨーク・ヤンキースを破り、球団史上初のワールドチャンピオンの一員となった。

1956年に引退
1956年シーズンは117試合に出場し、打率.275、10本塁打、43打点の成績を挙げた。ワールドシリーズではニューヨーク・ヤンキースに敗れたが、その後に開催された日米野球ではドジャースの一員として初来日し、日本各地を転戦した。日米野球終了後にトレード移籍の話が持ち上がるが、「ドジャースにいられないなら」と現役引退を表明した。

晩年
引退後は公民権運動に積極的に参加した。だが糖尿病により次第に視力が落ち、関節炎や軟骨剥離にも苦しんだ。1972年には自身の背番号「42」がロサンゼルス・ドジャースの永久欠番に指定されたが、式典に出席した時には杖なしで歩けず、右目は失明していた。
(その偉大なる功績をたたえ、「42」は1997年にMLB全球団の永久欠番に指定された)
1962年には1939年のルー・ゲーリッグ以来となる有資格初年度で野球殿堂入りを果たしている。
1972年10月15日、ワールドシリーズ第2戦で始球式に登場し、これが最後の雄姿となった。その9日後の24日、スタンフォードの自宅で死去。享年53歳の若さだった。
ジャック・ルーズベルト・ロビンソン
(Jack Roosevelt Robinson)
1919年1月31日-1972年10月24日(53歳没)

右投右打・内野手(1947〜1956)
通算成績
実働:10年
通算安打:1518本
通算打率:.311

主要タイトル
シーズンMVP:1回(1949)
新人王:1回(1947)
首位打者:1回(1949)
盗塁王:2回(1947、1949)

通算打撃成績
チーム 試合 打数 安打 HR 打点 盗塁 打率
1947 BRO 151 590 175 12 48 29 .297
1948 BRO 147 574 170 12 85 22 .296
1949 BRO 156 593 203 16 124 37 .342
1950 BRO 144 518 170 14 81 12 .328
1951 BRO 153 548 185 19 88 25 .338
1952 BRO 149 510 157 19 75 24 .308
1953 BRO 136 484 159 12 95 17 .329
1954 BRO 124 386 120 15 59 7 .311
1955 BRO 105 317 81 8 36 12 .256
1956 BRO 117 357 98 10 43 12 .275
Total 12 years 1382 4877 1518 137 734 197 .311

関連リンク
The Official Jack Roosevelt Robinson Web Site
Major League Baseball The Official Site
2025/11/9