生命(いのち)あるもの…


すべてのものには、はじまりがあり、終りがある。
はじまり−出会いがそうであるように、終り−別れも突然やってくる。
それが、いつ、どのような形でくるのか。それは誰にもわからない。

そんな事を考えていた。
しかし、どれだけ悔いても、起こってしまった事実、それを変えることはできない。

ふと、前の座席の運転手に話し掛けてみた。
 「こんな事故をおこす人間って、馬鹿だと思うでしょう」
運転手は軽くこちらを見ながら答えた。
 「そんなことないちゃ…事故は誰でもおこすもんやし、一瞬のことやからねぇ。
  だから保険屋がおるわけやし、わしらもこういう仕事しとるわけやからね」
車は、信号でゆっくりと止まった。
 「だけどね、事故を起こした直後の人間ってのは、自分がどんなに馬鹿で、情けなくて、
  どうしようもない人間かって思うんですよ…」
 「それはわしらかて一緒やちゃ。わしらやって、ヒヤッとする場面も時々あるしのお」
車は青信号で再び動き出した。
 「まあ、酒飲んで人はねて殺したとか、そういうどうしようもないモンは、情状酌量の余地もないと思うがの」
 「まあ…そうですけど。僕はお酒飲んでないですが…」
 「それはまあ、そうやちゃ」
レッカーの運転手は煙草に火をつけた。

言い訳をすれば、きりがない。どれだけでも言い訳はできるが
自分自身、事故を起こした当人の、自身に対する悔恨の情というものは偽ることができない。
自分で自分を殴れるのなら、思いきり殴り飛ばしたい。そんな気分だった。
だが、どれだけ悔やんでも、目の前で、かけらとなって散っている破片への、
さっきまで元気に走っていた相棒が今や原形を留めない鉄片となっている事実に対しての
言葉はでてこない。ただひたすら、
 「ごめんよ…」
としか言葉はない。

追突事故。相手に怪我が無かったのが不幸中の幸いだが、相手の車も完全に壊れており、
自身の愛車にも、もう見る影はない。再起不能。そんな言葉が頭の中をこだまする。

 「まあ、あれだけの事故で、相手がピンピンしとるってのはよかったのお」
 「そうですね…死んでてもおかしくなかったわけですからね」
 「死ぬ…というより、重傷になっててもおかしくないぞ」
 「…そうですね」
 「あれだなあ、相手の家に菓子折りでももって、挨拶に行くこっちゃ。それが人ってもんだからな」
 「…はい」
 「まあ、怪我なくてよかったちゃ…」
 「僕自身、死んでいたかもしれなかったんです」
運転手はこちらを振り返り、言った。
 「まだ死ねん、っちゅうことやろ。この世にまだ、やり残した事があるんやろ」
 「…はい」
涙があふれてきた。生きている。
僕はいまこうして生きていることを、泣くことでしか実感できなかった。

生きるということ。生命あるもの。
それは神に生かされているものなのか。自身でつかみとる生命なのか。

だが今夜、僕の相棒は死んだ。愛車として乗りはじめてから1年半、彼は常に僕の側にいた。
美しい景色を見た。険しい山道も走った。そして、恋もした。
彼は常に僕のそばにいてくれた。僕の支えになってくれていたのだ。
しかし、僕は彼に優しかっただろうか。傷だらけにしてしまった。酷使もしていた。
彼は、こんな僕によく耐えてくれたと思う。感謝の気持ち以上に、彼に対する申し訳なさの方が大きい。
好きな女の子といた時間よりも、彼と、相棒といた時間の方が長かったのだ。
2万キロ。1年で2万キロもの景色をともに見てきたのだ。
その相棒が、今夜死んだ。僕が、殺してしまった。
普通の人にとってみれば、ただの車かもしれない。
しかし僕にとっては、かけがえのない友達であり、パートナーだったのだ。

失恋をした。心の片方の翼をもがれた気がした。
その時僕は相棒に語り掛けた。
 「またお前と二人になっちゃったな。お前だけは側にいてくれるよな…」
しかしそれから何日もしないうちに、今度はその相棒すら失ってしまった。
しかも、僕自身の怠惰な心のせいで。
心の両方の翼をもがれた今、僕の心は羽ばたくことはできない。
涙の湖にひたってしまった身体を浮かすことはもうできない。

なぜ僕は生きているのだろうか。
レッカーの運転手は、生きてすることがある、といった。
しかし、そんなものは今の僕にはとうてい見えそうもない。
明日の光をさがすよりも、背負った業につぶされてしまいそうだ。
こんな僕に、人を愛する資格があるのだろうか。
運命の出会いは、訪れてくれるのだろうか。
今は何も答えがみえない。

大破した相棒を運び終えて、運転手は去っていった。
僕はもう何も語らない相棒を抱いた。その冷たい体をなでながら、謝ることしかできなかった。
彼が僕にとってどんなにかけがえのない存在だったか。
大切なものは失ってから気づくものだ。
愛にしろ、友達にしろ、物であってもだ。
そこから歩いて夜道を帰った。
2時間前には、いつものように相棒と一緒に出かけていったはずなのに、今はひとりで夜道を歩いている。
また涙がこみあげてきた。
後悔と、自分に対する怒り。どこにもぶつけようのない憤懣。
ふと空を見上げると、ひときわ大きく輝く月が、いくつかの星をしたがえてその丸い姿を浮かべていた。
考えてみれば、今日は僕の24回目の誕生日だった。
歩きながら、自分がけがをしていることに気が付いたが…どうでもよかった。
今の僕には、もう流れる血をぬぐう気力すらなかった。
ただひたすら、自分自身を呪った。
こんなに愚かな自分が生きている価値とは、果たしてなんなのか。
月に対して問うてみても、答えてくれるはずもなかった。

August 9, 1998

一晩たってみて、少し心も落ち着きました。
ネットをやめようか、とも思いました。
そうすることで、自分に対して罰を背負わせたかったのかもしれません。
でも、そんな僕を多くの人が励ましてくれました。
こんなにうれしいことはありません。
やっぱりネットをしているのが僕の自然な姿だとするなら、
すこしずつ、みんなの言うように少しずつ傷を癒していけたらと思います。

もう、相棒は帰ってはきません。
廃車を、決めました。
彼と走った2万キロは、決して忘れることはありません。
いつまでもそれは、忘れることはありません。

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