菊花賞を勝って史上五頭目の三冠馬に 1998年9月27日(日)
三冠馬ナリタブライアン急逝
 1994年にさつき賞、ダービー、菊花賞を制して史上5頭目の三冠馬に輝き、同年の有馬記念にも勝った日本の競馬史に残る名馬、ナリタブライアンが27日、北海道日高管内三石町の三石家畜診療センターで胃破裂ため安楽死の処置が取られ死亡した。馬齢8歳だった。
 ナリタブライアンは6月17日に腸閉塞の手術を行い、その後は順調に回復していた。しかし、26日に容態が悪化したため三石家畜診療センターに移して治療を受けていたが、27日になってさらに容態が急変。開腹手術を実施したが症状が重く、正午ごろ、安楽死の処置が取られた。
 ナリタブライアンは1991年生まれ。1993年に函館競馬の新馬戦でデビューして2着に入り、この年4勝。翌1994年は破竹の勢いで4歳馬のクラシック三冠戦に圧勝、有馬記念も制してGTレース4勝を含む6勝を挙げ、同年の日本中央競馬会(JRA)年度代表馬に選出された。しかし、5歳になった1995年以降は故障に泣かされて往年のスピードを失い、1996年10月に引退した。
 通算成績は21戦12勝、2着3回、3着1回。GT5勝は同7勝のシンボリルドルフに次ぐJRA歴代2位で、生涯獲得賞金10億2691万6000円は歴代最高。昨年から種牡馬となり、産駒は2000年にデビューする。[時事通信社]

(記録順位などは1998年秋当時のもの)
衝撃だった。ナリタブライアンは、僕にとって、偉大なサラブレッドであり、競馬を教えてくれた馬だった。今でも、サニーブライアンの次に好きな馬である。史上最強馬。そんな称号だけでは納まらないレース。皐月賞、ダービー、菊花賞、有馬記念、阪神大賞典、名レースを数え上げればきりがない。圧勝の馬身差に彼が見たものは何だったのだろうか。巨星が、落ちた。しかし、その夢の続きを2000年にターフで見ることができるのがせめてもの幸いだろうか。僕は、彼こそが日本競馬史上最強馬だと思う。謹んでその冥福を祈りたい。合掌。